溝口敦の仕事
   

溝口敦の斬り込み時評 No.523(2026年2月16日)
武闘派経済やくざ、後藤忠政との思い出

 元山口組の若頭補佐・後藤忠政氏が2月8日、都内の病院で死んだ。彼は武闘派兼経済やくざとして知られていたが、私は古い時代から彼を知っていた。

 彼の本拠地は静岡県富士宮市で、以前は創価学会と縁が深かった。彼に言われて、富士宮市の家を訪ね、学会関係の拙著を贈ったこともある。もちろん山口組関係で取材したことは何度もある。

 彼は渡辺芳則の五代目時代に若頭補佐に上ったが、その少し前、私が「次はカシラ補佐ですね」と水を向けると、にやっと笑った。よほど嬉しかったのだろう。

 彼と私は同じ午年で、同年齢だった。一度広尾ガーデンヒルズの彼の別宅に行ったことがある。彼はおそらく裏手にある日赤病院で肝臓か何かを診てもらっていたはずである。

 彼は08年、誕生日祝いのゴルフコンペに歌手や俳優を呼び、本部の会合をサボったからと、山口組執行部から除籍を食らった。後藤は一度は、「以後、一本で行く」と決めたが、結局、引退し、後藤組を解散した。

 後藤にとって意に染まぬ引退だったことは間違いない。彼はもっともっとやくざを続けていたかったはずだ。

 そのためか神戸山口組が分裂したとき、後藤の持つカネが問題にされたことがある。というのは神戸山口組を率いる井上邦雄組長は金儲けがヘタでカネがない。カネを持っているとしたら引退後の後藤忠正だ。

 彼は新宿駅南口に近い真珠宮ビルを持っている。あれを現金化すれば、神戸の抗争費用はまかなえる。後藤も弘道会の山口組支配を面白く思っていないはずだから、後藤を神戸山口組に取り込めという声が起こったのだ。

 彼は当時カンボジアに居を移していたが、この前後、日本に帰ってきていた。当時、私はたまたま取材先で彼と顔を合わせたが、ついでのようにこの話を持ち出してみると、「そうでないんだ」と面白くなさそうな顔をして横を向いた。

 後藤は井上を好きでもなく、信用もしていなかったのだろう。それに後藤がカネを出したところで、今回の分裂抗争が神戸側の勝ちで終わることはなかったと思われる。

 これまで井上邦雄組長に背を向けた者は織田絆誠(絆會)、池田孝志(岡山・池田組)、入江禎(元副組長)、寺岡修(元若頭)、正木年男(元総本部長)、中田浩司(五代目山健組組長)など何人もいる。要するに井上邦雄には首領としての器量がなかったと断言できそうだ。