溝口敦の仕事
   

溝口敦の斬り込み時評 No.408(2020年12月7日)
髙知東生氏は薬物依存症から立ち直れるだろう

 先日、雑誌「通販生活」の仕事で高知東生さん(55歳)に会った。

 初対面だが、非常にまじめな印象があり、彼なら他の芸能人やスポーツ選手とちがって、薬物依存症から立ち直れるのではないかと感じた。

 自著「生き直す」を出したばかりで、私も読んだが、ふつうのタレント本とは違い、彼自身が書いたという彼の言葉は本当だろうと思った。文章に事実の持つ力強さがある。

 高知さんには以前から高知の有名ヤクザの子という噂が流れていたが、今回の本の中でも、また本人の口を通しても、はっきり高知中井組・中井啓一初代組長の子と語っていた。高知さんの母親は中井啓一の愛人だった。

 が、正確には中井は育ての父親で、実の父親は徳島の吉野川の漁業権を仕切る、これまた徳島の有名ヤクザだと言っていた。この男が高知さんを自分の子として認知した。母親はこのヤクザの愛人だった一時期を持つ。

 中井啓一は高知地方区ではなく、それこそ全国区のヤクザだった。山口組3代目・田岡一雄の舎弟で、一時は高知市議も務めた。山口組が一和会を分裂させたときには一和会の最高顧問をつとめた。会長の山本広と並ぶ有力者である。

 中井組の若頭だったのは豪友会・中山勝正だった。中山は4代目組長・竹中正久に次ぐ山口組若頭だった。竹中正久は中山の器量と実力を早くから承知し、自分が4代目組長に擬せられたとき、「俺の代わりに中山勝正を推せ」といったほどだ。

 つまり中井組は中井本人と中山勝正という2人の傑物を輩出している。だが、中山は中井と袂を分かって山口組につき、前記したように若頭に上った。その果てに竹中正久とともに一和会の攻撃を受け、あえなく絶命した。

 この後、高知を舞台に豪友会と中井組が互いに互いの命を取り合う激しい抗争を展開して、全国の耳目を集めた。

 当時を知るほどの人は、若頭・中山勝正だけでも存命だったなら、山口組は今の体たらくを招かずに済んだと思っていよう。もう少し筋目、筋目がきっちりした組運営を期待できた。

 高知東生さんは子どものころ、こうした中井啓一の影響を受けた。母親がトンネルの入り口に車をぶつけて自殺したとき、中井は、自宅に運ばれ、布団に横たわる遺体を抱いて、自分の車の助手席に乗せ、「ちょっとドライブに行ってくるわ」と、車を発進させたという。

 なるほど高知東生さんの家族関係は複雑だが、それでも父母の愛情にくるまれて成長している。彼がまた薬物に戻るなど、道を誤ることはないだろうと思わせる。