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溝口敦の斬り込み時評 No.407(2020年11月6日)
ベトナム人家畜泥棒事件に見る野性味

住宅地に住む者は植木の落ち葉や小枝を自宅で燃やすことが許されない。ストーブ状の炉や煙突を備えていようと関係ない。燃やすこと自体がたいてい市条例か何かで禁止されている。
枯れ木や小枝は50センチの長さに切り揃え、ヒモで束ねて清掃局に持っていってもらわねばならない。
こうした措置は自治体が処理するゴミの量を増やすだけだ。住民が焚き火で得るささやかな楽しみさえ奪う施策だろう。焚き火にどれだけの量のダイオキシンや有害物質が含まれているというのか。
ところで北関東では大量の家畜が盗まれた。9月までに群馬県ではブタ676頭、牛2頭、ニワトリ144羽、埼玉県ではヤギ8頭、ブタ130頭、ニワトリ80羽、栃木県では牛6頭などの被害が出たという。
どこの誰が飼育農家から盗むのかと思っていたら、失職したベトナム人などだった。家畜を盗んでも輸出できない。国内で大々的に販売することも難しい。結局は仲間たちの腹に収めるしか販路がない。
ベトナム人の中には貸家に19人が混住していた例もあったらしい。実習生とはいえ、働き口もなく、食い物もなく、せっぱ詰まって家畜に手を出したのだろう。同情すべき余地がある犯罪だが、ここで気がつくのは彼らが持つ野性味である。
日本人はどんなに経済的に詰まろうと、人の家畜を盗もうとは思わない。盗んでも自力で解体できるとは思わず、家畜を盗むという発想そのものを失っている。ブタの顔や体つきを見て、うまそうな奴とはほとんどの人間が思わないのだ。
人に限らず動物は命あるもの、動植物の命を奪って食い、わが身を養っている。殺し、食うことは生きていく上で基本の技である。
焚き火も同じだろう。火を燃やす技がなければ、焼くことも、煮炊きすることも、暖まることもできない。初冬の夕、揺れる炎を見て、物思いにふけることもできない。
当たり前の話だが、震災を受けたとき、物をいうのは基本の技である。公的な救援の手が差し伸べられるまで飲まず、食わず、出さず、眠らずにいるわけにいかない。
しかし、人は野性味を失っても、現代社会では生きていくことができる。屠畜、解体する技がなくても、スマホさえ操れれば、警察を装って敵に電話し、攻撃しやすい場所に誘導することもできる。
いまだに仲間同士が殺し合うという習俗を持つヤクザは、現代に生きる人間の中で最も野蛮かつ野性味がある種族といえるかもしれない。しかし、そういう人間が警察をネタにする小技を弄して、敵を銃撃する。そうとうガックリくる話だろう。

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