溝口敦の斬り込み時評 No.429(2021年11月8日)
工藤會トップへの死刑判決について思うこと

 ちょっと古い話になるが、今年8月24日、北九州市の暴力団、工藤會のトップ野村悟被告に死刑判決が言い渡された。

 この判決理由には、野村被告が犯罪を指示・命令したという目撃証言や受命証言、犯罪に使われた拳銃といった物証もなく、単に間接的な証言や状況証拠があるばかりだった。

 ある人間が確実に殺ったという直接的な証拠なしに、その人間に極刑を宣していいものだろうか。常識的には、そんな判決が許されるなら冤罪を呼び込む、絶対避けるべきだ、となろう。

 私もそう思う。被告が暴力団の首領だからといって、公正な裁判を受ける権利が否定されてはならない。法の下の平等は誰に対しても適用されるべきで、こんな判決が許されるなら、やがては宗教界や政界、革新運動などにも拡大され、戦前のような暗黒社会が再来することになる。

 しかし、暴力団の犯罪には組織ぐるみという特性があり、警察が実行犯に対して行う「突き上げ捜査」ぐらいでは、上部の指示者、命令者について自供しない。組織のトップはピラミッド型に積み上がる組織に守られ、ほとんど刑事事件で罪を問われることはないのだ。

 もちろん暴力団抗争などで流れ弾に当たり死傷した一般人などが組長の使用者責任を適用、損害賠償を求める裁判を行うことは可能である。だが、これは民事だから、暴力団トップにとってはカネを払えば済むこと。刑務所で服役することはない。

 では、法の乱用といった批判を受けることなく、暴力団首脳に刑事罰を科す方法はないのか。私が一抹の可能性を見出すのは統計学の利用である。

 たとえばアメリカの経済学者スティーヴン・レビットなどは、大相撲千秋楽での7勝7敗の力士の勝率を精査することで、八百長試合の可能性を立証できるとしている。

 力士個人から「たしかに私は八百長しました」との供述を取ることは難しいが、統計での結論を審理に添え、情況証拠とするぐらいのことはあっていいのではないか。

 工藤會は一党支配的に北九州市を牛耳ってきた。同地に他の暴力団は存在しない、と私が取材した幹部は断言していた。

 福岡県警は市内の繁華街で「暴力団員立入禁止」の標章を張り出すよう飲食店に督励してきたが、標章掲示店に対し、放火したり、ママをナイフで傷つけたり、一時、襲撃が相次いだ。

 犯人不明のケースが多かったが、これなどは<北九州市で暴力団の利害に直結する行政に対し攻撃を加えるのは工藤會だけだ、統計学的に立証できる>として、いいような気がする。

 統計的に推理してお前が犯人だ、死刑だとやるのは論外だが、少なくとも統計学ぐらい傍証ぐらいには使うべきだろう。