439)「人の道」を外れた山健組は身内からも総スカン(22年4月18日)

5代目山健組・中田浩司組長(殺人未遂などで起訴され勾留中)がこのほど神戸市中央区花隈町の山健組関連施設や神戸市北区の神戸山口組・井上邦雄組長の自宅、兵庫県加古郡稲美町の別宅の所有権移転登記を求める裁判を神戸地裁に起こした。
いずれの不動産も井上邦雄組長や息のかかった者などが所有・管理している物件であることから、中田組長が井上組長を身ぐるみ剝いで放り出す算段と見られる。両者は現在、六代目山口組と神戸山口組に分かれ、折りあらば殺そうという関係である。
しかし、中田組長はもともと五代目山口組・渡辺芳則組長の運転手から身を起こしている。彼は渡辺が創立した健竜会に加盟し、徳島刑務所で健竜会幹部の井上邦雄と出会い、目を掛けられ、出所後は健竜会会長、山健組組長、神戸山口組若頭代行へと引き上げられた経歴を持つ。
いわば井上組長は中田組長にとって大恩ある大先達なのだ。そういう井上組長を相手取り、最後のトドメを刺すべく「剥き身」作戦に出たと見られる。
おそらく6代目山口組・高山清司若頭が知恵をつけたのだろうが、カタギの目から見ても「人の道」に外れることおびただしい。
神戸市花隈町はもともと3代目・田岡一雄が愛人を住まわせていた土地で、田岡が愛人の後、山健組の初代・山本健一に住むよう世話をした経緯がある。そのためか、山健組は地元の花隈町自治会と長期間、良好な関係を結んできた。
しかし、地元住民も山健組のゴタゴタした現状にはうんざりなのだろう。去年12月に「暴力団追放市民の会」を結成、自治会トップ自ら「山健組は出ていけ」というプラカードを掲げる状態になった。
地元民の意を受け、暴追センターが5代目山健組本部に対し使用差し止めを求める仮処分を神戸地裁に請求。尼崎や淡路島など他地域の動向を見ても、住民からの請求はすんなり認められ、5代目山健組が遠からず花隈町の本部や山健会館を畳まなければならない日が来ると見られる。
山健組を創始した山本健一の遺族も今の山健組にうんざりしている様子だ。もともと健一夫人だった秀子は女手一つで遺児をカタギに育て上げた女丈夫であり、健一亡き後、当時の山健組・松下正夫本部長などを除き、組員が自宅に出入りすることを禁じた。
その上、このほど神戸市東灘区の霊園にあった山本健一の墓を畳み、別の場所に移してしまった。もう山健組組員などが墓参することは結構、墓守は家族だけでひっそり行いますという意思表示だろう。
遺族からも地元住民からも嫌われては、ヤクザの生業は成り立たない。

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