428)分裂した山口組の調停を巡る奇っ怪な話(21年10月25日)


山口組から分派して抗争した一和会の会長・山本広は1989年3月に一和会を解散し、自らもヤクザ世界から引退した。

 山口組と一和会の間に入って調停したのは稲川会と会津小鉄会だった。当時、国会で暴力団対策法の論議が始まり、ヤクザ世界では、いいかげん山一抗争を収めないと、暴力団世界にとんでもない悪法が施行されるという危機感が広がっていた。

 いわば暴力団世界を代表する形で稲川会と会津小鉄会が調停に動いたのだ。当時、山本広は稲川会本部長・稲川祐紘に付き添われて山口組本家を訪れ、謝罪している。

 つまり有り体にいえば、稲川会と会津小鉄会が山本広の命を保証したから、山本広は解散と引退を受け入れた。一和会はそれまでに組員17人を殺されながら、親分の山本広は生命の保証がなければ引退を飲まなかった。

 今、神戸山口組の落城はほぼ確定し、井上邦雄組長は「もはやこれまで」と潔く切腹しなければならない立場だが、昔の山本広組長と同様、「生命と安全の保証」がほしい。それなしには引退は飲めない。

 ところがどの暴力団も調停に動こうとはしない。暴力団対策法は稲川会と会津小鉄会の調停にもかかわらず、山一抗争の決着後、わずか2年で成立、92年には施行された。抗争が終わろうと終わるまいと警察庁は暴力団対策法ばかりか、2011年10月には暴力団排除条例を全国で施行した。

 暴力団には、これ以上はないほど厳しい取締り法令が用意されたから、暴力団としては今さら危機感を燃やしようがない。山口組の分裂抗争は全暴力団にとって迷惑だといっても、それが調停や仲裁の動機にはならない。

 しかし、今、奇怪な話が広がっている。「調停できる傑物がいる。この男こそ井上邦雄の命を保証でき、引退を飲ませられる」というのだ。

 私がこの話を聞いたのは桑田兼吉・3代目山健組組長時代の元幹部からである。耳寄りな話である。当然、「その者は誰だ」という質問になる。

 と、回答はとち狂っているとしかいいようがないものだった。ここで具体名は伏せるが、6代目山口組の執行部の一員で、弘道会系ではない幹部である。

 しかし、常識的に考えて調停する者の資格要件は、6代目山口組とも神戸山口組とも関係なく、中立的な立場に立つ者である。なぜ現に六代目山口組の執行部にある者が調停に立てるのか。神戸の井上邦雄組長がそんな者は拒否するに決まっている。

 また執行部の一員が自分の上司ともいうべき高山清司若頭を説得し、コントロールできるのか。できるわけがない。その人間がいくら「傑物」だろうと関係がない。根本的に資格なしなのだ。

 言い出した人は頭がいかれているのではないか、と唖然としたが、いわばそれほど調停する人がいない。