403)ITで近代化した組織を目指した工藤會の誤算(20年9月14日)


 長らく北九州市を牛耳ってきた工藤會がほぼ終末期を迎えている。野村悟総裁や田上文雄会長など首脳部が揃って逮捕、起訴され、今や暴力団として組織運営できているかさえ怪しい状態だ。

 しかし、こういう工藤會も一時期、全国の暴力団の中で先進的といっていい組織機能を備えていた。北九州市は百万人近くの人口を誇る巨大都市だったが、工藤會は北九州市を一手に独占し、他の暴力団や半グレ、外国人犯罪グループを徹底排除していた。

 構成員が650人。ほとんど地元出身者で占められ、人的にも地元密着型だった。幹部たちは毎日、小倉北区の工藤會本部に集まり、お茶を飲みながら情報交換し、問題の解決策や対処策をひねり出していた。昼ごろには散会し、以後は各自シノギに精を出した。

 執行部の任期は1年と決まり、1年に1回、必ず執行部を解散した。ノホホンとした幹部は外され、欠員が出れば補充した。

 事務局はきわめて機能的だった。本部とは別棟に事務局室を設け、電子化が進んでいた。早い時期から全組員への通達にはパソコンを通じた一斉送信が採用され、警察の捜索に備えて、海外に隠しサーバーを置き、一瞬のうちに本部のサーバーから全データを消去することもできた。

 一時期は全国の警察の不祥事を網羅する「ぽりすニュース」というサイトを立て、各地方紙の記事を転載する形で警察を冷やかした。YouTubeにも警察とのやり取りや、アルジャジーラの工藤會特集番組を日本訳つきでアップするなど、ディジタル利用に優れていた。

 また経理も近代化され、組の客人に対しては、担当した幹部が自腹を切るなどはなく、幹部は領収書をもらった上、本部に掛かった費用を請求した。他の暴力団は今もってほとんど丼勘定だが、工藤會に限ってはふつうの会社並みの経理方式を採った。

 北九州市という地盤、人口比で適切な組員数、現代的な運営方式など、たしかに工藤會が暴力団業界の先頭を走る時期があったのだが、おそらく堅気を傷めすぎ、警察をコケにしすぎたのか、福岡県警の超法規的な袋叩きに遭い、あえなく今、消滅しようとしている。

 しかし、工藤會が新しい暴力団像を提案したことは確かなのだ。山口組をはじめ他の暴力団は旧態依然とした組運営で満足し、警察包囲下の生き残り策に真剣に取り組もうとはしていない。

 わずかに神戸山口組から分派した絆会が「暴力団に対抗できる脱反社路線」を模索して産みの苦しみにある。その具体化はまだ先の話だが、その前に「暴力団の看板は外しても、男の看板は外さない」のは現代に可能なのだろうか。