393)二面性を失った日本の暴力団史はほぼ終わった(20年4月13日)


 日本の暴力団の歴史はほぼ終わったと見られる。なぜそう言えるのか。

 一つに社会的影響力の喪失である。分裂した山口組の一方が相手幹部のタマを取ろうと取るまいと、この世の大勢はピクリとも動かない。組員数も激減し、全暴力団の構成員数は準構成員を含めて3万人を切り、最盛期1968年の6分の1以下へと縮小した。

 労働組合の組織化率も目を覆う惨状だが、暴力団は労組以上の落ち込みで、総人数2万人とされる芸能人とおっつかっつになった。

 暴力団は今「反社会的勢力」に数えられるが、もともとは「半社会的存在」だった。つまり半分社会から否定されながら、もう半分は行政や社会から認められていた。これのいい例が「二足のわらじ」だろう。

 博徒の親分がバクチの開帳でお目こぼしをいただく一方、十手を預かった。お上は「蛇の道はヘビ」とばかり、ヤクザの方が与力や同心より犯罪情報を早く正確に掴むと承知し、犯罪捜査や街の治安維持に活用した。

 こうした暴力団の持つ二面性は、遊ぶカネさえあれば、今でも辛うじて保持されている。たとえば盛り場での外国人犯罪グループや半グレ集団の動向把握、その駆逐などである。

 二面性の否定は警察行政の拙さが原因だった。警察は外国人グループを捕まえれば、取扱い事務が繁雑になるし、通訳も要る。それなら外国人集団とぶつかった片方、暴力団だけをパクった方が世話なしで効率的と、暴力団だけを目の仇にした。暴力団はこれで嫌気が差し、外国人集団の侵攻に目をつぶった。

 おまけに暴力団のリーダー層が警察の取締り体勢や法令の厳罰化に抵抗しなかった。大阪戦争や山一抗争の時代には、稲川会、関東二十日会加盟団体、また会津小鉄会・高山登久太郎などが「抗争を止めないと暴力団新法ができてしまう」などと危機感を募らせ、山口組などに働き掛けた。

 だが、道仁会対九州誠道会抗争や山口組の分裂抗争ではそのような動きは一切ない。だいたい業界のリーダーたるべき六代目山口組が率先して抗争しているのだから、ブレーキ役が登場する道理がない。つまり山口組の司忍、高山清司体勢は暴力団の持つ二面性の一方を捨て、嫌われ憎まれる暴力団という一面だけを増幅させた。

 現在、絆会(元任侠山口組)の解散が噂されている。反社であることを止めるためには、暴力団であることを止めなくてはという彼らなりの模索だろうが、本来、六代目山口組がこうした試行錯誤をすべきだった。暴力団にとって「歴史の終焉」を見ないためには取り急ぎ生き残り策を探す必要があるのだから。