373)任侠山口組で織田代表と親子盃、舎弟盃(19年4月22日)


 神戸山口組に叛旗を翻して結成された任侠山口組がこれまでの代表制から他の2派並みに組長制に代わった。やはりヤクザ組織は親分--子分関係の方が統制を執りやすいのだろう。

 2年前の発足時、しかるべき人が現れればその人を組長にという合意から、織田絆誠代表でスタートを切ったが、最近、幹部や組員の間から「2年たって織田代表は、組長に就いたからといって、カネを持ってこいなどと変わる人でないと分かった。しかるべき人は織田代表しかいない」という声が上がり、織田代表を親とする盃事が行われたのだ。

 4月16日、当初、式場は大阪に予定されていたが、大阪府警がメンツにかけて開かせないと強く出たため、急遽、長野県上田市にスイッチ、任侠の一団は深夜高速で上田に移動、同日未明に40数名が親子盃、舎弟盃を交わした。

「今現在、懲役に行っている者4名を除き、入院者は代理を立て、組員の9割強が盃事に参加しました。ほぼ脱落者なし。完璧に織田組長で固まりました」(任侠山口組幹部)

 任侠山口組は攻守両面で臨戦態勢をより強化、整備したといえる。そうでなくても最近、任侠山口組は好調である。

 4月8日、神戸山口組執行部会で太田守正舎弟頭補佐(太田興業組長)が「私が今あるのは織田氏のおかげ。今後、太田興業は任侠山口組といいつき合いをしていく」と言い切ったのだ。これにより神戸山口組は大きく揺れた。

 織田組長は神戸山口組から絶縁処分を受けている。それを承知で、あえて太田組長が「交際する」と明言した。もちろん処分覚悟の発言である。

 太田発言に対して執行部は反論できず、一様に下を向き、黙認する形になったと伝えられる。

 太田発言を知った任侠山口組は翌9日、通達を出した。大要は、太田組長の熱い思いに応え、任侠山口組も太田興業に仲間意識で接する。但し神戸山口組との関係は従来通りといったものらしい。

 太田組長の「今日、私があるのは」という発言には説明が必要だろう。

 太田組長は執行部を批判して08年、山口組から除籍された。太田興業は組長代行の秋良東力が引き継ぎ、秋良連合会と改称した上、秋良組長は六代目山口組の直参に昇格した。

 太田氏は和歌山県白浜に蟄居、引退したが、神戸山口組の発足後、織田組長が白浜に足を運んで復帰するよう口説いた。神戸山口組には太田復帰反対の声もあったが、織田組長は反対論も説得、ついに16年、太田組長の神戸山口組参画を実現する。太田復帰は秋良連合会潰しも睨んでの事だが、太田組長は織田組長の労を多としたのだ。