286)司組長の誕生日を前に元山健組の大幹部が飛び出した(17年1月16日)


 元山健組の本部長だった片岡昭生氏は司忍組長が創設した司興業(名古屋市、森健司組長)の顧問として名古屋に籍を移していたが、旧冬12月26日、司興業に対し、「もう破門だろうと絶縁だろうと好きなように処分せえや」といいおいて、神戸に帰ってきたようだ。

 片岡氏は桑田兼吉3代目組長のころの山健組では大幹部だったが、そのころから薬物依存の後遺症が囁かれ始めた。今もってそうした噂が尾を引き、古巣の神戸山口組では片岡氏を引き取るといった話は聞こえてこない。「脳をやられている。判断力がちょっと」という声もあるのだが、彼の構想はまあ、まともである。

 片岡氏は二つに割れた山口組の再統合を考えている。再統合しない限り日本のヤクザは永遠にない、と。その仕事人として片岡氏が目をつけたのが実は森健司氏だった。

 森氏は司組長が弘道会を率いた後、司興業を任され、司興業は長く弘道会直系組の一つだった。その後、六代目山口組の直系組織に格上げされたが、森組長は格上げ前から、自分の能力は直参レベル以上と認識していたようだ。

 実際、今の6代目執行部と比べれば、森組長の方が格上と思わせる点は多々ある。まず森氏は司組長を含めて要路の人物にパイプを通じている。人脈があり、それに見合った構想力と実行力を備え、おおむね人に好かれ、他団体、他分野にも強いコネを持つ。

 こういう森組長が当事者である立場から少し離れ、分裂問題を裁定することができるなら、おそらく神戸側をも納得させ、めでたく両派を仲裁・調停できたにちがいない。

 だが、どういう事態が生じたか、森組長は片岡氏を疎んじ始め、うるさがり、遠ざけ、ついには神戸に帰してしまった。森組長が男になるためには司組長をも相対視し、意見できるほどの胆力が必要だったが、そういう危険は冒せないと判断したのかもしれない。ここまで6代目山口組の病状が進めば、もう手のくだしようがない、と。

 その司忍組長が1月25日、誕生日祝いを迎える。晴れて75歳。後期高齢者の仲間入りである。弘道会系の組幹部はもとより、6代目の直参が多数参集するだろうが、他の友誼団体の参加はあるのかどうか。

 たとえば京都の会津小鉄会は新年早々、内紛含みだし、松葉会や住吉会なども無邪気に「うちは一枚岩です」と胸を張れる時代ではなくなってしまった。ヤクザは放置しておけば、腐りが広がる時期に来てしまった。